まだ歩いています。

9月24日のこと

9月24日は桜塚やっくんの誕生日である。

やっくんはスケバン恐子としてブレイクする前に、あばれヌンチャクというコンビを組んでいた。私はコンビ時代からのファンで初めて行ったお笑いライブは2003年。今でもチケットは大切にとってある。

9月と10月は特別な月だ。やっくんに関するエピソードは沢山あるんだけど、今日はやっくんの好きな所について書こうかな。って思って書き始めたけどうまく伝わるような文章は書けなかった🤣普通にちょっと悲しくもなってしまった。まあそれはそうだよな。だって好きだったんだもの。悲しいのは当たり前さ!

事故から6年後に、やっくんの追悼イベントがあった。小さなライブ会場で、ファンの皆と、芸人さんとあばれヌンチャクでの元相方の竹内さんと皆でやっくんの悪口を話した🤣竹内さんがコンビ時代のネタをやってくれて、懐かしい!って笑って本当に心が救われた日だった。

その時に竹内さんが語っていたやっくんの学生時代のエピソードが本当に好きだった。当時通っていた学校にやっくんが自分のイベントのチラシを貼って回っていたら翌日ビリビリに剥がされていたことがあり、それを見たやっくんが竹内さんに嬉しそうにこう言ったらしい。「タケ!やった!俺は妬まれてる!!」私はこの話を聞いてめちゃくちゃ笑ってしまった。「やっくんらしい」って、ただただ、好きだと思った。本人からその話を聞きたいなぁと思った。時々とんちんかんで、無茶ばかり言ってくるし、自信家でやばい奴で迷惑かけられたと話す竹内さんの表情はとても優しかった。その時竹内さんにコンビ時代の写真を集めたフォトブックをプレゼントした。後日ついったーで宝物にしますと言ってくれた。握手ができて、本当に嬉しかった。

私はファンなのでファンとしての見方になってしまい世間からのイメージはよく把握できていないが、やっくんはスーパーポジティブな人だ。スケバン恐子というキャラクターはやっくんそのままだったな、と思う。やっくんが亡くなってから泣き続けた数年間、頭の中で思い描くやっくんはいつも「いつまで泣いてんだよ!」と私を笑いながら叱ってくれた。声も仕草も完璧にイメージできた。

やっくんには、お笑いライブを通して心を救ってもらった。亡くなってからも頭の中で本人に何度も励まされた。おかしな話なんだけれど、当時知り合ったファンの友達とも同じことを何度も話した。今でもお墓参りに行くたびにその話をする。

 

やっくんが事故で亡くなってから、元相方の竹内幸輔さんが毎年9月になると「おめっとさん」と誕生日をお祝いして、10月の命日には「あれから○年、墓参り行ってやってください」と呟いていた。おかげで、少しずつ悲しみを受け入れられた。その竹内さんが昨年6月に亡くなった。この歳になってもこんな風に泣くことあるんだって思うくらいわんわん声をあげて泣いてしまった。突然すぎて、正直まだ受け入れられていない私はふとした瞬間にこう思う。

「そんなことある???」。

そんなことあるかよ、2人ともいなくならなくたっていいのに😞竹内さんはとても気さくな人で、毎年10月にはいつもついったーでお話させていただいていた。

初めてお笑いライブに行った日から、応援してきた2人がもういない。ぐちゃぐちゃな気持ちを思い出したり沈めたりしながら、ある日突然推しがいなくなってしまったことを、定期的に考える。やっくんにも、竹内さんにも、ああ伝えたかった、こうしたかったと消えない後悔を抱き続けている。前向きだったり、後ろ向きだったりしながら、ずっと考えている。考えながら、日々他の推し活を一生懸命にやっている。後悔したくないと怯えて疲れてしまったり、怖くてどうしようもなくなることもあるけれどやっぱり推したい!大切にしたい!と思ってあらゆる「好き」を叫んでいる。この話はいつか何かの形で自分用にまとめたいという夢がある。

 

なるべく明るい話がしたかったけれどやっぱりちょっと無理だったな!!まあ仕方ないよね!

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2人の姿を見ることはもうできない。じゃあ、推しの新規絵自分で描けばいいのでは?と思って数年前から10月に描いている。これは去年のものだが今年も必ず描こうと思っている。

 

終わり。